2007年04月29日(日)

GWだけれど...

晴れ とても良い天気だけれど、お仕事...
小学生バドミントン大会
ということで、小学生のバドミントン大会の撮影。
ライターさんと「いい天気ですねー。でも屋内ですねー。ショボーン」などと話しながら会場へ向かった。
体育館は予想通り暗く、蒸し暑かったが、未来のオグシオを目指す少年少女の熱戦がくりひろげられた。

小学生バドミントン大会

バドミントンラケット、シャトル

EOS-1D MarkII + EF24-70mm F2.8L USM
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投稿者 Takaki : 2007年04月29日 23:59

2007年04月23日(月)

世界ノルディック札幌大会を振り返って 〔最終回〕

2007年FISノルディックスキー世界選手権札幌大会のクロスカントリー、コンバインド距離、そして閉会式会場となった白旗山距離競技場を4月初めに訪ねてみた。
白旗山距離競技場
コースは雪割りが施され、仮設のメインスタンドや建物は跡形もない。 白旗山はひっそりと静寂に包まれていた。

白旗山距離競技場
参加各国の国旗がはためいたフラッグポール、登りコース脇のスポンサーバナー用の木枠が名残惜しむように残されていた。

白旗山距離競技場
フィニッシュアリア奥のコメンタリーブース(左上)やサブプレスセンター(右上)も、もちろん影も形もない(左下)。地面に穿たれたサブプレスセンターの基礎の穴だけがその痕跡をとどめていた(右下)。


プロモーションの失敗、それに伴う入場者数の誤算などに対する批判的な意見も多々噴出した大会が終了してから早2ヶ月近く過ぎ、既に人々の記憶の中から消え去りつつある。

組織委は3月、入場料収入が当初見込みの46%に当たる約1億4000万円に とどまったことなどを公表し、赤字となる可能性を示したが、その後、国際スキー連盟(FIS)から受ける外貨建て(スイスフラン)の 分配金が円安の影響を受け、予想より日本円で数千万円程度上積みされる見通しとなり、 赤字決算を回避できるであろうと発表した。 大会終了に際して「大成功」と評した組織委会長もさぞかしホッとしたことであろう。今更ここで、成功であったか否かを語るつもりはない。ただ残念なのは、これだけの世界的スキーイベントが開催国において、あまり認知されなかったことである。

しかし、白旗山のコース奥深くまで足を運び声援を送っていた家族連れの姿が記憶に残る。世界のトップアスリート達の走りを間近に見たあの子供たちの心に感動を残したのは確かであろう。いつの日にか日本のウィンタースポーツ界の活力になることを予感させるものであった。

大会最終日には3800人の観衆が訪れ、世界のトップアスリートの熱い戦いに沸いたのは、今となっては夢のようである。普段の全日本クラスの大会で、あれだけの人々が集うことは無い。次にあの賑わいが戻ってくるのはいつの日のことであろうか。

最後に、取材に際していろいろとお世話になったフォトコーディネーターの岩瀬氏やボランティアスタッフの方々に感謝を込めて一句。
白旗山距離競技場
「残雪や兵(つはもの)どもが夢の跡」
....お粗末でした...
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2007年04月19日(木)

世界ノルディック札幌大会を振り返って 〔その5〕

海外から訪れて大会を盛り上げてくれた応援団。その中でも特に目立ったのはノルウェーの応援団であった。彼らの姿は期間中に何度か掲載したので、ここではその他の国の人たちをピックアップしてみた。人数は多くないが、個性豊かな応援で会場の雰囲気作りに貢献していた。
フィンランド
フィンランド
フィンランド
マンニネンの優勝を称えてラッパの音が高らかに響き渡った。

ドイツ
ドイツ

日本
地元日本も夏見円選手の活躍で気勢が上がった。ただ、チームスプリントでは日本勢が敗退するとそそくさと引き上げてしまったのが残念であった。

日本
大倉山ではチョンマゲの被り物で応援。

選手の活躍と観客の声援で盛り上がった、札幌ドームでの歴史に残るクロカン競技開催ではあったが、
札幌ドームフィニッシュエリア
ひとつだけ気になった点をあげておこう。ご覧の通り、表彰式はコースのフィニッシュエリアで行われたわけだが、このポジションが観客をまったく無視した配置であった。屋内ということで効率良くコースをレイアウトするのに苦慮した結果ではあろうが、せっかく会場に足を運んだ観客に背を向けての表彰式はいただけなかった。ドーム内のスクリーンに映し出されていたとはいえ、一番の見所のゴールシーンも観客席からは遠く離れていたのである。実際に観に行かれた方のブログでもこの点に関して苦言を呈しているものが見受けられた。観客あってのスポーツイベントである。なんとかならなかったのであろうかと惜しまれる。

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2007年04月14日(土)

世界ノルディック札幌大会を振り返って 〔その4〕

ノルッキー NORKEY
大会マスコットとして活躍したノルッキー。数年前から大会PRのため孤軍奮闘している姿を随所で見かけたもので、当ブログでも何度か紹介してきた。ここでは、大会期間中のシーンからピックアップしてみた。

(↓クリックで拡大表示)
ノルッキー
大会初日の札幌ドームで開場前、お客さんを出迎えに入り口へ向かう。
ノルッキー
開会式で大黒摩季さんと一緒に。

ノルッキー
札幌ドームフィニッシュエリアでNRKのカメラマンに映されているノルッキー。
ノルッキー
ジャンプラージヒル団体で銅メダルを獲得した日本チームとともに。
ノルッキー
ジャンプノーマルヒル個人戦金メダリストのアダム・マリシュとハイタッチ。
ノルッキー
閉会式で福原美穂さんと一緒に。

ノルッキー
次回開催地リベレッツの組織委員会スタッフと記念撮影。この姿はLIBEREC 2009の公式ページで紹介された。
ノルッキー
サヨウナラ、ノルッキー。お疲れ様でした。
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2007年04月10日(火)

世界ノルディック札幌大会を振り返って 〔その3〕

世界ノルディック クロスカントリー前走
競技開始前、白旗山距離競技場を揃いのウェアに身を包み、整然と走る前走者。
世界ノルディック札幌大会では「冬戦教」の選手たちが前走を務めた。
正式名称は「冬季戦技教育隊」で陸上自衛隊北部方面隊におかれる陸自唯一の冬季専門部隊であり、最古の特殊部隊でもある。戦闘戦技教育室、調査研究室、特別体育課程教育室に分かれていて、バイアスロンやクロスカントリーなどのスキー選手は特別体育課程教育室に所属している。

曽根田千鶴
この冬戦教から今回の世界選手権には曽根田千鶴選手が3種目出場した。
冬戦教女子クロカンチームのエースとして長年活躍してきた。そんな彼女がアルペンスキーからクロスカントリーに転向して17年間に渡って続けてきた選手生活に、今シーズン最終戦となった全日本スキー選手権(3月22~26日、音威子府)をもって別れを告げた。
曽根田選手と初めて話をしたのは、トリノ五輪を1年半後に控えた2004年7月、五輪を目差す選手たちへの激励会といった趣で行われた冬戦教後援会懇親会の席であった。今となってはその時どんな話をしたかは覚えていないが、とにかく礼儀正しくて細やかな気配りを絶やさない姿が記憶に残っている。

曽根田千鶴
2月25日 パシュート(7.5kmクラシカル+7.5kmフリー) メインスタンド前を通過。

曽根田千鶴
2月27日 10kmフリー 北コース上り坂を駆け上がる。

曽根田千鶴、横山寿美子
3月3日 女子最終種目の30km(クラシカル)マススタート
ゴール後、横山寿美子選手と握手して健闘を称えあう。順位は24位で目標としていた30位以内をクリアした。

引退は今大会中に決意していたそうである。「体力的にまだやれると思うが、悔いはない。」とのこと。
何度も見てきた白旗山での彼女の滑りをもう見ることが出来ないのは残念である。
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2007年04月08日(日)

世界ノルディック札幌大会を振り返って 〔その2〕

前回に引き続き、大会7日目のクロスカントリー男子15kmフリーから。
レースは30秒間隔で一人ずつスタートする。121名もの選手がエントリーしていて、トップとラストのスタート時間差は1時間にもなる。競技中盤から吹雪に見舞われるコンディションとなりスタート順が遅いポイントランキング上位の選手には厳しい展開となった。そんな中で優勝したのは55番目にスタートしたバイアスロンが専門のラーシュ・ベルゲル(ノルウェー)であった。
そしてバイアスロンと言えばこの人、オーレ・アイナル・ビョルンダーレン(Ole Einar Bjoerndalen)が参加していた。02年ソルトレークシティー五輪ではバイアスロン史上初の全4種目完全制覇、W杯最多勝利を更新中のバイアスロン界のスーパースターである。
BJOERNDALEN Ole Einar (NOR)
BJOERNDALEN Ole Einar (NOR)
BJOERNDALEN Ole Einar (NOR)

もともとは射撃に難があり、バイアスロン界では圧倒的な走力でそれをカバーしてきたビョルンダーレン。昨年11月の距離W杯イエリバレ大会(スウェーデン)の15キロフリーでスキーW杯初優勝を遂げ、史上初となるバイアスロン、距離の2つの世界選手権での金メダル獲得を目指してやって来た。しかし、先に述べたようにレース中盤からの吹雪により、思うようにタイムが伸ばせずトップから1分36秒8遅れの16位に終わった。バイアスロンファンの私としては、彼の野望達成をひそかに期待していたのであるが...
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2007年04月05日(木)

世界ノルディック札幌大会を振り返って 〔その1〕

2007年 FISノルディックスキー世界選手権札幌大会が終わってから早くも1ヶ月が過ぎた。大会期間中に取り上げなかった写真をもとに、これから数回に渡って大会を振り返ってみる。

ノルディックスキーはその名の通り、参加選手は北欧勢が大多数を占めるのだが、その中に混じってアフリカから参加した選手たちがいた。
TEKLEMARIAM Robel (ETH)
トリノでエチオピア選手として初めて冬季五輪に出場したロベール・テクレマリアム。その時と変わらずドレッドヘアをなびかせて力走した。選手と国のスキー連盟会長、監督、ワックスマンの一人4役をこなす。世界ノルディック初参加で順位は完走117人中の108位であった。3年後のバンクーバー五輪も目指している。

BOIT Philip (KEN)
1998年長野五輪で、ケニア選手として初めて冬季五輪に参加したフィリップ・ボイト。3大会連続の五輪出場を果たしている。今回の順位は115位であった。

KRAAS Oliver (RSA)
南アフリカのオリバー・クラースは90位。

この日は競技途中から激しい吹雪となり、大会期間中もっとも悪天候であった。そんな中を比較的コンディションの良かった早いスタート順であったとはいえ、アフリカ勢がすべて完走したのは立派なものである。
(2月28日 大会7日目 クロスカントリー男子15kmフリー 白旗山距離競技場にて)
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