2007年08月26日(日)
■ 第7回バイアスロンローラースキー全国大会 2日目
第7回バイアスロンローラースキー全国大会の2日目は男女パシュート競技が西岡競技場で行われた。男子は2.5kmのコースを6周する15km。昨日のスプリントの成績順とタイム差でスタートする。
男子優勝は井佐英徳(冬戦教) 28:02.4
(↓クリックで拡大表示)
28:37.1 (+00:34.7) |
28:37.4 (+00:35.0) |
女子は4周で10km。
女子優勝は高橋奈津子(冬戦教) 27:29.6
(↓クリックで拡大表示)
28:15.8 (+00:46.2) |
29:12.6 (+01:43.0) |
今日は昨年同様にJR北海道スキー部の3名が参加。昨日のスプリントには参加していないため最後尾からのスタートである。
野上幸寿(JR北海道):トップから3分30秒遅れの20番スタートで19位 34:44.7 (+06:42.3)
石田正子(JR北海道):トップから1分47秒遅れの9番スタートで6位 30:04.5 (+02:34.9)
夏見円(JR北海道):トップから1分37秒遅れの8番スタートで9位 31:23.0 (+03:53.4)
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2007年08月25日(土)
■ 第7回バイアスロンローラースキー全国大会 初日
「第7回バイアスロンローラースキー全国大会」が西岡競技場で今日から2日間にわたって開催されている。初日は男女スプリント競技が行われた。
男子は2.5kmのコースを5周する12.5km。参加19選手が、午前9時30分から15秒おきにスタート。
男子優勝は日本バイアスロン界のエース井佐英徳 22:57.9
(↓クリックで拡大表示)
23:24.0 (+00:26.1) |
23:30.3 (+00:32.4) |
女子は4周で10km。7名が参加。
優勝は高橋奈津子 22:12.1
(↓クリックで拡大表示)
22:15.4 (+00:03.3) |
22:49.0 (+00:36.9) |
明日はパシュート競技が行われる。JR北海道の野上幸寿、夏見円、石田正子の3選手がオープン参加の予定。
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2007年07月22日(日)
■ 第8回札幌市長杯大倉山サマージャンプ大会
第8回札幌市長杯大倉山サマージャンプ大会が、札幌市の大倉山ジャンプ競技場(ラージヒル=HS134メートル)で開催された。成年組は伊東大貴(土屋ホーム)が3連覇を遂げた。前日の宮の森大会(ノーマルヒル)に続き連勝。
266.5点(126.5メートル、133.5メートル)
2位:岡部孝信(雪印)263.8点(125.5メートル、135.5メートル)
3位:東 輝(日本空調サービス)250.9点(124.5メートル、128.5メートル)
今年2月の世界ノルディック札幌大会で大転倒し全治3カ月の重傷を負った日本複合のエース高橋大斗(土屋ホーム)が、前日の宮の森大会で148日ぶりに実戦に復帰した。そして今日は悪夢の舞台となった大倉山でも復活。231.3点(118.5メートル、125.0メートル)で8位に入った。
女子は山田いずみ(サッポロスキッド)が2年ぶり4度目の優勝。
226.0点(120.0メートル、120.0メートル)
2位:渡瀬あゆみ(サッポロスキッド)214.2点(111.0メートル、123.0メートル)
3位:小浅星子(札幌環境サービス)199.7点(112.5メートル、116.5メートル)
女子期待の新星、伊藤有希(下川中)は2本とも100メートルオーバーをそろえて4位入賞。
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少年組1位:鈴木翔(小樽北照高校)173.6点(102.0メートル、112.5メートル)
2位:清水礼留飛(新潟妙高高原中)172.6点(97.5メートル、117.0メートル)
3位:小林潤志郎(岩手盛岡中央高)167.4点(94.0メートル、116.5メートル)
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投稿者 Takaki : 2007年07月22日 23:57
2007年04月23日(月)
■ 世界ノルディック札幌大会を振り返って 〔最終回〕
2007年FISノルディックスキー世界選手権札幌大会のクロスカントリー、コンバインド距離、そして閉会式会場となった白旗山距離競技場を4月初めに訪ねてみた。コースは雪割りが施され、仮設のメインスタンドや建物は跡形もない。 白旗山はひっそりと静寂に包まれていた。
参加各国の国旗がはためいたフラッグポール、登りコース脇のスポンサーバナー用の木枠が名残惜しむように残されていた。
フィニッシュアリア奥のコメンタリーブース(左上)やサブプレスセンター(右上)も、もちろん影も形もない(左下)。地面に穿たれたサブプレスセンターの基礎の穴だけがその痕跡をとどめていた(右下)。
プロモーションの失敗、それに伴う入場者数の誤算などに対する批判的な意見も多々噴出した大会が終了してから早2ヶ月近く過ぎ、既に人々の記憶の中から消え去りつつある。
組織委は3月、入場料収入が当初見込みの46%に当たる約1億4000万円に とどまったことなどを公表し、赤字となる可能性を示したが、その後、国際スキー連盟(FIS)から受ける外貨建て(スイスフラン)の 分配金が円安の影響を受け、予想より日本円で数千万円程度上積みされる見通しとなり、 赤字決算を回避できるであろうと発表した。 大会終了に際して「大成功」と評した組織委会長もさぞかしホッとしたことであろう。今更ここで、成功であったか否かを語るつもりはない。ただ残念なのは、これだけの世界的スキーイベントが開催国において、あまり認知されなかったことである。
しかし、白旗山のコース奥深くまで足を運び声援を送っていた家族連れの姿が記憶に残る。世界のトップアスリート達の走りを間近に見たあの子供たちの心に感動を残したのは確かであろう。いつの日にか日本のウィンタースポーツ界の活力になることを予感させるものであった。
大会最終日には3800人の観衆が訪れ、世界のトップアスリートの熱い戦いに沸いたのは、今となっては夢のようである。普段の全日本クラスの大会で、あれだけの人々が集うことは無い。次にあの賑わいが戻ってくるのはいつの日のことであろうか。
最後に、取材に際していろいろとお世話になったフォトコーディネーターの岩瀬氏やボランティアスタッフの方々に感謝を込めて一句。
「残雪や兵(つはもの)どもが夢の跡」 |
....お粗末でした... |
投稿者 Takaki : 2007年04月23日 20:23
2007年04月19日(木)
■ 世界ノルディック札幌大会を振り返って 〔その5〕
海外から訪れて大会を盛り上げてくれた応援団。その中でも特に目立ったのはノルウェーの応援団であった。彼らの姿は期間中に何度か掲載したので、ここではその他の国の人たちをピックアップしてみた。人数は多くないが、個性豊かな応援で会場の雰囲気作りに貢献していた。フィンランド
マンニネンの優勝を称えてラッパの音が高らかに響き渡った。
ドイツ
地元日本も夏見円選手の活躍で気勢が上がった。ただ、チームスプリントでは日本勢が敗退するとそそくさと引き上げてしまったのが残念であった。
大倉山ではチョンマゲの被り物で応援。
選手の活躍と観客の声援で盛り上がった、札幌ドームでの歴史に残るクロカン競技開催ではあったが、
ひとつだけ気になった点をあげておこう。ご覧の通り、表彰式はコースのフィニッシュエリアで行われたわけだが、このポジションが観客をまったく無視した配置であった。屋内ということで効率良くコースをレイアウトするのに苦慮した結果ではあろうが、せっかく会場に足を運んだ観客に背を向けての表彰式はいただけなかった。ドーム内のスクリーンに映し出されていたとはいえ、一番の見所のゴールシーンも観客席からは遠く離れていたのである。実際に観に行かれた方のブログでもこの点に関して苦言を呈しているものが見受けられた。観客あってのスポーツイベントである。なんとかならなかったのであろうかと惜しまれる。
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投稿者 Takaki : 2007年04月19日 22:55
2007年04月14日(土)
■ 世界ノルディック札幌大会を振り返って 〔その4〕
大会マスコットとして活躍したノルッキー。数年前から大会PRのため孤軍奮闘している姿を随所で見かけたもので、当ブログでも何度か紹介してきた。ここでは、大会期間中のシーンからピックアップしてみた。(↓クリックで拡大表示)
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2007年04月10日(火)
■ 世界ノルディック札幌大会を振り返って 〔その3〕
競技開始前、白旗山距離競技場を揃いのウェアに身を包み、整然と走る前走者。世界ノルディック札幌大会では「冬戦教」の選手たちが前走を務めた。
正式名称は「冬季戦技教育隊」で陸上自衛隊北部方面隊におかれる陸自唯一の冬季専門部隊であり、最古の特殊部隊でもある。戦闘戦技教育室、調査研究室、特別体育課程教育室に分かれていて、バイアスロンやクロスカントリーなどのスキー選手は特別体育課程教育室に所属している。
この冬戦教から今回の世界選手権には曽根田千鶴選手が3種目出場した。
冬戦教女子クロカンチームのエースとして長年活躍してきた。そんな彼女がアルペンスキーからクロスカントリーに転向して17年間に渡って続けてきた選手生活に、今シーズン最終戦となった全日本スキー選手権(3月22~26日、音威子府)をもって別れを告げた。
曽根田選手と初めて話をしたのは、トリノ五輪を1年半後に控えた2004年7月、五輪を目差す選手たちへの激励会といった趣で行われた冬戦教後援会懇親会の席であった。今となってはその時どんな話をしたかは覚えていないが、とにかく礼儀正しくて細やかな気配りを絶やさない姿が記憶に残っている。
2月25日 パシュート(7.5kmクラシカル+7.5kmフリー) メインスタンド前を通過。
2月27日 10kmフリー 北コース上り坂を駆け上がる。
3月3日 女子最終種目の30km(クラシカル)マススタート
ゴール後、横山寿美子選手と握手して健闘を称えあう。順位は24位で目標としていた30位以内をクリアした。
引退は今大会中に決意していたそうである。「体力的にまだやれると思うが、悔いはない。」とのこと。
何度も見てきた白旗山での彼女の滑りをもう見ることが出来ないのは残念である。
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投稿者 Takaki : 2007年04月10日 23:45